poihoi’s writing

ぽいほいの書き物

人間洗濯機

失恋しました。

一つ年上の先輩に。

ウェーブのかかった黒髪、濃くて太い眉毛、マッチ棒が乗りそうなほど長いまつ毛、そして憂いを含んだ美しい瞳。

長い手足、引き締まった小さなお尻、広い肩幅。

 

見てくれだけではありません。

有名私立大学法学部に在籍し、サークルでは班長を勤め、その統率力は誰もが認めるほどでした。偉ぶることもなく会話はユーモアに溢れ、行動は思いやり深く、時に優しく厳しく、時にエッチに……先輩は男女を問わず好かれいてました。

 

本当にいるのかそんな男。

恋は盲目です。

とにかく先輩に恋したあたしは無我夢中、猪突猛進。

寝ても覚めても先輩のことしか考えていませんでした。

先輩会いたさに授業をサボってサークル部屋に通い詰め、サークル活動、飲み会にはパーフェクトに参加。隙あらば先輩の隣に座るべく、他の先輩や友人との会話はほとんど上の空。

 

あたしが小脇に抱えていた新田次郎の本を見つけた先輩に

「あ、これ読んでみたかったんだよな。次、貸してくれる?」

なんて言われて……、買ったばかりで一文字も読んでないのに渡してしまいました。

もう、胸キュンキュンです。

 

先輩へのこの思いを一人胸の内に収めているのが苦しくて、意を決して告白することにしました。と言えば聞こえはいいですが、ただ単に黙っていられないだけ。おまけに振られるなんて微塵も考えていないという大馬鹿思考。

 

「俺もお前が好きだ!」と言われるシーンが頭を駆け巡る中、告白しました……あっさり振られました。あまりに呆気なく恋は終了。

 

泣きました。大いに泣きました。

こんなに恋しいのに、あたしの思いは叶えられない、そして先輩は誰か他の人を好きになってしまうのだ。もう先輩には触れられない、一緒に居られない。

そう思うと辛くてサークルも辞めてしまおうかとさえ考えるのでした。

日々が辛く、誰にも会いたくない、そう、この日常から逃げ出したい。

 

そしてあたしは京都へ傷心旅行に出掛けました。

恋に敗れた女はなぜ京都に惹かれるのでしょうか? あれ? あたしだけ?

学生の身でお金もなかったので往復夜行バスの日帰り。

なんか、ケチくさい傷心旅行ですが。致し方ない。

 

間の悪いことに、時は修学旅行シーズン。

どこへ行っても制服姿の学生たちで溢れかえっています。

京都大原三千院も御多分にもれず。

「こっちこっち〜!」

「ここ、いいじゃん! ここで撮って! あ、美香ちゃんも早くおいでよ〜!」

などなどの黄色い声の中に、恋に敗れた女が一人……。

 

美味しいもの食べて英気を養おうかと、湯豆腐店に。

「ちょう、美味しいじゃん!」

「なにこれぇ、めっちゃ熱いんだけど〜!」

黙って食えんのか!

 

恋の傷はそんなに簡単に癒やされるものではないのだ。

今しばらく先輩を失った悲しみに浸りながら過ごすしかないと覚悟を決めて、東京へ帰ることにしました。

が、夜行バスの発車時間までまだ2時間近くあります。

どこかにカフェとかないかなぁ、恋に敗れた女が京都の夜にしっとりお茶できるお店ないかなぁ、と周りを見回していたら

「人間洗濯機」

という看板が目に入りました。

それはお風呂屋さんの看板でした。

看板の中央には風呂屋さんの屋号がデカデカと書かれ、横に負けじと大きく「人間洗濯機」という文字、その隣に小さく丸い湯船のような絵が描かれているのです。

 

その看板に吸い寄せられるようにフラフラとお風呂屋さんに入って行きました。

裸になり、さて、人間洗濯機なるものは一体どういうものなのか大いなる期待と恐れとともに女湯に足を踏み入れる……と、そこはごく普通のお風呂でした。

洗い場があって、正面には広い湯船。背後には京都の街並みの絵が描かれています。

 

あれ?

人間洗濯機は一体どこにあるのだろう?

頭から突っ込まれて、石鹸ぶっかけられてグルングルンかき回されて、最後には身体中の水分を搾り取られるほど脱水かけられてしまうような、人間洗濯機はどこ?

 

ぐるりとあたりを見回すと、ありました。

大きな湯船の隣にひっそりと、小さな丸いタイル張りの湯船が。

人一人入ったらいっぱいという、確かに洗濯機みたいに丸い湯船が。

そして、湯船の中ではお湯がグワラングワラン、なんか文句あっか!

という感じで回っています。

これ? これ?

いやちょっと違う? なんか騙された?

独り言を呟きながら入りました。

お湯は力強く旋回していて、気を入れて湯船に捕まっていないと回されそうです。

あたしを押し流そうとするお湯と回されまいとするあたしとの戦い。

お湯に浸かってゆっくり失恋の傷を癒す、とか感傷にひたるなんて状況とはほど遠い……。むしろ荒ぶるお湯との真剣勝負! みたいな。

「こんなものに回されるほど柔じゃないんだから!」と息巻くあたし。

ただ単にお湯が回っている湯船に、その流れに逆らうように浸かっているだけなのに、そのうちなんだかおかしくなってきて笑えてきました。

そうか、人間洗濯機かぁ。

 

空いていたこともあって、たっぷりと人間洗濯機に浸かって失恋の痛手も洗い流されました。

身も心もさっぱりしたあたしは意気揚々と夜行バスに乗り込み

「そういえば、3年生のあの先輩かっこよかったなぁ。彼女いるのかな」

なんて早くも次なる恋を心に思い描いて東京へと向かったのです。

 

《終わり》